師走でごわす。
イメージってありますよね。
「あの人って○○やってそう」「ああー、わかるわかる」みたいな。
今日はそんな、僕のイメージについてお話ししてみようと思います。
ちなみに僕ってどんなイメージですか。
ヘタレですか。Mキャラですか。
ここだけの話、僕はヘタレだけどMキャラじゃありません。
なんか、そんな風に仕立て上げられてるだけです。
周りが一方的に生み出したイメージで。
なんか他にも色々あるみたいね。
タバコのLARK吸ってたら「意外」って言われました。
なんか、ピアニシモとか吸ってそう、だって。
どないやねん。
ベベルフレアとか?あのへん?そっち系?
あと、僕、昔バンドやってたんですが、その話をすると90%以上「ギターでしょ」って言われます。
なんかギターのイメージがあるらしい。
残念ながらヴォーカルです。
あと、昔いた店舗の先輩から
「いっぺえさんてなんか電気もつけないで薄明かりの中でベートーベンの月光をピアノで弾いてそう」
って、なんかもうここまで来るとなんの脈絡もありません。
こないだ、クリスマスのディスプレイが店に届いて、表面にツヤがあるシロモノだったので、組み立てる時に指紋がつかないように白い手袋が入ってたんですよ。
いや、コレなんですけどね
↓

で、それをつけてディスプレイを組み立ててたんですが、そしたらその手袋が超似合うってことで周りから大爆笑されました。
なんか、博物館とか美術館とかで品物を手にとって解説してそう!とのことです。
う〜む、このお椀は・・・いい仕事してますねえ〜▼

こんな感じか?(゚Д゚)ポカーン

はいどおも。
高速を150キロで飛ばしてるのにそれ以上のスピードでぐんぐん追いついてきて車間距離1メートルぐらいの真後ろでものすげーパッシングする人の思考回路が理解できないいっぺえです。
同乗者がいる場合は安全第一で左車線によけて道を譲りますが、同乗者がいない場合、僕はあまりそーいうことをしたくありません。
別にチンタラ走ってるわけじゃねーし。
車間距離ギリギリまで詰められてもビビる僕じゃないんですよ残念ながら。
僕はさほど運転とか好きじゃないんですが、その理由としては他の車の運転を不快に感じることがあまりにも多いからです。
対向車が右折するときにウィンカー出さなかったり、こっちが右折しようとして対向車が過ぎるのを待ってたのに、ギリギリまで来てウィンカー出されたりとか、2車線以上の道路で車線変更し終わってからウィンカーを右に出すアレって何、みたいな。
ちなみにこっちが車線変更するとき、車間距離がだいぶあることを確認してウィンカーを出すと急にスピードを上げて「入れてたまるか」張りにビービークラクション鳴らす奴とか。
そのたびに「いやいやいや」とか、車の中で1人でツッコミ入れるわけ。
本来ボケ役の僕は、いちいち他のドライバーにツッコミ入れるのも疲れるわけ。
まーこんなふうにブチブチ文句たれてると怖いドライバーと思われそうですが、僕、免許をとってかれこれ数年、事故こそ起こせどゴールド免許、本来サイレントクレーマーなので、実は僕、クラクションを鳴らしたことって今まで3回しかありません。
車の中で1人でぶつくさ言うだけです。
元々好戦的な性格じゃないってのもあるけど、あのクラクションってなんか攻撃的な感じがしてイマイチ好きじゃない。
(好戦的じゃないとか言いながら1人の時は車線譲らない僕ですが)
危険を回避するときにやむをえずと言うときには鳴らすのか、というと、そういう時ですら鳴らさないですね。
クラクションを鳴らすヒマがあるなら自分がブレーキ踏むなりハンドルを切るなりして、相手に回避させるより自分が回避したほうがいいじゃないすか。
ここぞとばかりに不必要にクラクション鳴らす奴はマジちょっとここ来て座りなさい。
そんな感じで。
2005年8月24日に下書き保存されて、タイトルすら未記入の記事があった。
↓
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ご立派どころかむしろそんな自分にコンプレックスを抱かずにはいられない。
目の前にいる人間が喜んだり楽しそうだったりすると多少はうれしかったりするのは、何も僕だけじゃないです。
僕は他より多少その感が強いかもしれないけど多かれ少なかれ共通する感情は皆持ってます。
人が楽しんでる姿を見ると自分がうれしくなるのと同じように、自分が楽しめば自分以外の人間が嬉しかったりすることもあるはずだと僕は思う。
だけど僕は自分のことでホントに楽しいことってあんまりないし、そうなると、自分が楽しむことで相手が得られる喜びっていうものを、僕は人に与えることがあまり出来てないってことになる。
周りの人間が幸せそうなら僕は嬉しいけど、そーいう喜びを僕は求めてばかりで、僕は自分が笑うことで誰かを喜ばせることを忘れがちかもな、みたいなことがふと頭の中をよぎった。
若さっていうのかな。
自分より他人のことを優先的に考えられる自分を誇りに思ってた頃があって、こんなので満足するのは周りが見えてない証拠だよな。
社交辞令で喜んだりするのは簡単だけど、それはやっぱりその場しのぎでしかないわけだ。
全てに失望したり、投げ出したり、自分のことに無関心になるっていうのは、自分が堕ちていくだけじゃ済まされない。
それを防ぐためにも、人は自分のために楽しんだり、自分のためだけに喜んだりするのも必要なんだろう。
周りの人間のためにも自分中心のことを少しは考えてみようかな、と思った。まずは自分が楽しいことを探したり、何かに対して嬉しいと感じられる気持ちでも育ててみますか。

職場では定期的に、人事関連の調査っていうか、自己啓発の意味もかねて普段の仕事がどのぐらいできてるかっていうのを自他共に評価して、それによって給料とかも変化するのね。
評価の対象となる項目はいくつかある。
個人情報管理だとか、接客態度だとか、○○に対してどんな行動がとれてるだとか。
それをまず僕が自分で点数をつける。
次に店長が僕の自己評価を見ながら点数をつける。
さらに僕の自己評価と店長の評価も考慮に入れたうえでマネージャー殿が僕の点数をつける。
店長とマネージャーが話し合って、
「こいつは、××は○点、▼▼は○点」と最終的に結論づける。
で、ある日店長に呼ばれるわけ。
「マネージャーと話し合って、あんたの自己評価と私(店長)とマネージャーの評価を総合的に考慮した結果、あんたの点数は××点になったよ。
あんたはこういうふうに評価してるけど私はこう考える。
それに対しマネージャーはこういう評価をしたので最終的にこういう点数になったけど何か意見などありますか」
みたいな具合に。
で、思ってたより店長とマネージャーの評価が良くて、僕の自己評価を上回る点数が結構たくさんついてたのね。
まあそれだけならめでたしめでたしなんだが、
僕の自己評価があまりに低かったせいか、店長が心配しちゃって、
「自己評価でこんなに点数が低いってことはどこかひっかかるところとか心配なところとかあるの?私は問題無いと思うんだけど」
とか突っ込んできたわけ。
改めて問われると何が悪いってわけでもないんだが、仕事に限らず、僕って卑下する傾向にあるみたいだからね。多分それだろう。
人間、満足したら終わりだ。
それ以上向上する姿勢を失う。
僕は単にそうなりたくないから自分が思うより低い点数をつけたんだけど、細かいところまで突っ込まれるとうまい返答が思いつかず、
「じゃあ、その点数でいいです」
てな感じで妥協しちゃいました。
皆はどうなんだろうな。
やっぱ給料に関わることだから出来る限り高い自己評価とかするんだろうか。
でも俺、金とか(無きゃ無いで困るけど)あんま興味ねーし。
とか言うと立派に聞こえちゃうかもしれないけど、反面、あんまり高く評価されると窮屈だったり、ちょっとしたヘマも許されない重い責任を負わなくちゃいけないでしょ。
それがイヤだっていう、ただの逃げ腰でしかない部分も僕の中に少なからずあって、そーいう意味でも僕はまだまだそんなご立派な人間じゃない。
僕のことはあまり買いかぶらない方がいい。
オス。一切の精神活動がうまくいかず、人生滞りまくりのいっべーです。
ブログにも何書いたらいいのかわからず最近では昔話とかし始める始末。そろそろこのブログも潮時ですか。
ところで僕は一般教養があまりにも不足していて、いわゆる世間知らず、もっと言うなら非常識極まりない人種だと思ってます。
世の中がどうなろうが僕の知ったことじゃないし、政治にも興味無いし。
いや、僕が政治に詳しくないのは政治に興味が無いからじゃない。
あらゆることに興味が無くて政治もまた同じ、というだけなんだ。
自分が楽しむための遊びには興味が持てるのに政治や一般常識に関心が無い、っていうのはそいつが怠けてるだけだけど、俺の場合はこうだ。
グルメにも興味ないからどこの店がうまいかなんて知らないし、情報誌なんか見ないから今年の流行なんて知らないし、ブランドものには一切興味ないからファッションセンターしまむらのジーンズとか平気で何年も履いてたりする。シーズンごとに服を買い換える人間の心理なんて当然理解できるはずもなく。
さらには女の子と知り合って芸能人で誰が好き?
とか聞かれても、芸能人は「テレビの中の人」っていう一くくりでの認識なので誰が好きっていう認識でとらえない。
あげく「山口もえってかわいいよね」とか同意を求められても「誰だっけそれ」とか言う始末。
娯楽文化にさえ興味が持てない人間が、人間社会に必要な知識や一般常識が人並みにあったりしたらそれこそおかしいですよ。
何に対して関心があって、何に無関心か、っていうレベルの話なら、もう少し○○にも関心を持たなきゃ、と言われるのもわかるけど、話はそーいう次元じゃないからね。
もうこれは性質だな。
で、こんなダメな僕ですが。
最近なんかやたらとクイズ番組とか雑学系の番組が多いじゃないすか。
別に好んで見てるわけじゃないけどリビングで親が見てたりすると俺も見たりするんですが、意外と、親もテレビの中の芸能人も答えられない問題に答えられたりするのね、俺。
そんなとき、「ああ、俺ってバカではないんだな」ってちょっと安心する。
ただ、ここ数年は俺も色々いっぱいいっぱいで何かに興味を持つ余裕が無いから近年の世の中の事情に疎いだけで、それ以前のことや時代に関係ないものであれば俺もそれなりのことを知ってたりするのかもしれない。
俺って生まれつきこんなだっていう錯覚に陥りそうだったけど、以前は違ったんだな。
誉められ嫌い(その1)の続き。
誉められるのがダメってのも変な話だよなーと思ってもう少し考えてみる。
うーむ、もしかしたらアレか?
自分が注目を浴びるっていうのは自分が満足を得ることだから、そうなると今一緒にいる人たちがみんな楽しい時間を過ごせているかどうかが限りなくあやふやになるからそれが俺は不安なのか?
ほら、誰かが裕福になるっていうのは誰かの貧しさがあって成り立つものでしょ。そーいうのに近い意識が俺の中には強いのかもしれない。
それで多人数の中で自分ひとりがいい思いをする系の状態が居心地悪くさせるのかも。
いや待て。
今新しく思いついた。
もしかしたら俺は単に自分に自信が無いだけなのか?
それで誉められたりすることが逆にプレッシャーになってるだけとか?
俺、基本は面白い奴でも何でもなくて、天然で何か面白いこととか優しい言葉を言える人と違って足りない脳みそフル回転させながら人付き合いをしてるから、他人が俺のことを誉めるのは俺の演じてる部分でしか無いんだよな。
それは俺の本質じゃないから、そこから来る後ろめたさ・・・とか。
うげ、思いつきで書いてみたけどこれって結構可能性高いんじゃないか?
考えてみれば自分で誇れる部分とか、我ながら頑張ったなと思えるところを誉められるとやっぱ嬉しいんだよね俺。
ということは誉められること自体がダメ、というよりも、結局、自分がそうじゃないと思ってる部分が誉められることがきっと多いのかも。
つまり他人が認めても自分で認められない。
要は自分に自信が持てる部分が少ない。
そこを誉められることに居心地の悪さを感じるのかも。
やられキャラでいたほうがラクっていうだけかもしれないけどね。
・・・まーそんなこと考えてみるけど自分でもわけわかんないです。
ただ性根が曲がってるだけかもしれないし。
半年に一度、これまでの反省と来期の目標を書くんですが、僕もやっぱり出来たことよりできなかったことのほうに目が向きがちで、ここを改善すべしみたいな内容ばかりになってしまいます。
数字で評価することはないんですが、やはりマイナス面ばかり書き出していると実際に仕事を見ていない上役にいい印象を与えないようで、昇進などに関わってくるからなるべくマイナスイメージな事は避けるようにと何度か言われたことがあります。
僕は昇進とか別に考えてないんで構わないじゃんとか思うんですけど、直属の上司は上役と最終的に話し合いの場を持つんで自分の部下管理の項目でマイナスされたくないんでしょうね。
自己評価を上回る数字が出てきたのもそれに関係してるんじゃ?
もっとも、仕事内容が立派だからこそプラスの評価をしてくれているんでしょうけど。
君も僕も(笑)。