[ 2008年08月20日
19:20 ]
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このへんの日記にも書いてるけど、新卒が入社して今、色々教えてあげてます。 (俺が今の仕事で下の人にモノ教えてるってこと自体未だに信じらんねーけど) さてさて、なんだか新人さんに気に入られてますよ僕。 僕のことを優しいと、僕がいないところで言っていたらしいです。 わかんないことあると、「いっべさ〜ん♪」とか言いながらやってくるわけです。 ああ、僕も学生同士とかなら「えへへ」と言ったところですが、なんか職場ってなると全然違うよねやっぱ。 無理も無いと言えばそうなんだけど、彼女を見ててどっか学生気分が抜けてないっつーか、緊張感がまるで感じられないです。 まーなー、まだ若いからなー。 っていうような年でもないけど俺も。 とにかく最初はそーいうもんなのかもしれないな、と思うようにしてます。 俺もあの子ぐらいの年の時って人生ナメてた節があったしね。 社会経験が無いっていうのも大きいかもしれない。 そう思うと最初はこんな感じから始まって、やがて経験をつんでいくうちに成長していくもんなのかもしれない、とか。
でも時々思うのが、今後もずっとこのままじゃ困るな、と。 果たしてこの緊張感の無さは、(僕がかつてそうだったように)若さゆえの何たらなのか、それとも今の若いのはいつまで経ってもこんななのか。 そのへんが微妙。 僕が入社したときは、それはそれは厳しい先輩たちの下で勉強したもんだから、萎縮しまくりでかなりてんてこまいでした。 でも店舗異動になって、今の職場は、よく言えばアットホーム、悪く言えばぬるい。 今まで何店舗か経験してるけど、こんな店舗は他になかなか無いです。 特に女の子ばっかの職場だと「お友達」的なムードが強くなっちゃうのかもしれないな。 もし今後、この子が他店舗に応援に行くようなことがあったら、今の店舗とのギャップについていけなくなるんじゃないかとかそんなことばっか気になってしょうがないです。 厳しくするばかりが教育ではないっていうのが俺の考え方でもあるんだけど、やっぱ甘いのもダメなんだろうな。 でもアメと鞭なんてそんな芸当、不器用な僕が出来るわけないです。 まあ、出来る範囲でやるつもりですけどね。 なもんで、今日は新人さんとちょっとマジメくさった話をしました。 ノリとしてはこのブログみたいに堅苦しい内容で。 別にきついこと言ったわけじゃないけど、とにかくうちの店舗は特別だってことと、他店舗じゃこうはいかないってことをわかってもらえるような話を少々。 なんか羨望のまなざしで見つめられちゃいましたが、意味わかってんのかな(爆)。 というか、僕はと言えば入社してたった半年。 新人さんを除いたら僕が一番下っ端なのに、何で俺、店長みたいなことやってんだろ。 そのへんはやっぱ俺もうちの店舗で唯一の男のはしくれってことか? あんま関係ないか。
前回に引き続き、昔を懐かしむシリーズ第二段(というか前にも似たこと書いてるかもしれないけど) ケータイが普及する前はポケベルが大流行。 今では減少している公衆電話の前には女子高生の行列ができ、ゲーセンにはポケベルの早打ちゲームもあった。 それ以上昔は当然ポケベルも無い。 初めて女の子の家に電話をするときは家の人が出たらどうしようと受話器を持つ手に汗がにじんだり、今の子供はそんな経験も無いんだろう。 自宅の電話も親機・子機の区別もなく一家に一台のみ。 家族がいるところで電話をかけるときは会話を聞かれやしないかとドキドキしたり。 その電話は黒いダイヤル式のもので、なぜか今とかではなく設置されているのは廊下とか玄関。 あと電話やドアノブとかティッシュにフリルのカバーみたいなのついてなかったっけ。 あれって流行だったんだろうか。 テレビも今では各自室に一台が当たり前。 昔は居間に一台しかなく、父親の野球中継と子供のテレビアニメで、お互いCMに入った一瞬の隙を突いてそれぞれが見たい番組を見たりした。 TVゲームは1日1時間という掟。 この掟は昔から守られることはなかったけど、今ではこんな掟自体存在しないんじゃないだろうか。 なぜなら今は親がファミコンで育った世代だ。
習い事はそろばんと習字が主流。 朝は牛乳屋が配達とかしてたような。 朝起きたら父親はすでに会社に出かけててすごいなーと思った。 すずめの鳴き声とかももっとたくさん聞こえてた気がする。 実はつい数年前まで、うちの近所にはあの伝説のラッパを鳴らしながら豆腐屋が回ってきてたけど最近聞かなくなったな。 ガキの頃は林の中に秘密基地作って日が暮れるまで遊んだな。 夕立のにおいとかもっとあざやかな気がするけど今はどうだろう。 引きこもったり仕事に追われてたりで夕立に出くわすことも近頃ではあんまりなくなったな。 明るい未来を信じてた 豊かな時代を目指してた 希望が溢れてた 全てがキラキラ光ってた 平和が続くと思ってた あの日に帰りたい 明るい未来を信じてた 予想もつかない幸せに出会うと思ってた 僕らは一体いつどこで何を忘れてきたんだろう あの日の夢を見る 【嘉門達夫「明るい未来」より】
たまたま中学生のブログにたどり着き、3分ぐらい読んでた。 なんか男子便とか女子便とか懐かしい単語が並んでていとをかし。 そうだよな、俺にもこーいう世界にいた時代があったんだよな、とか懐かしんでみた。 最初から今の年だったわけじゃないんだよ俺も。 小学校では赤白帽子を縦にかぶってウルトラマンとかやってたし、それだけで面白かったんだ。 仲のいい奴もいればむかつく奴もいた。 中学では昼休みは校舎の中でおにごっこ(と、定規戦)。 部活もやってたし(美術部だけど)、授業開始のチャイムが鳴ってもセンセイが来ないときはこのまま永遠に来ないでくれとか願ったり、家庭科が嫌いな俺は自ら進んで皿洗いと後片付け係りを買って出て、料理は他の連中に任せたりして、出来上がったうどんが小麦粉状態のバサバサでクソまずい状態で文句言えなかったりね。 牛乳当番はじゃんけんで決めるんだけど毎回負けて結局毎日俺がやるハメになってこれじゃ当番じゃねーよ、とか言ってたり、眠っていた記憶が次々蘇ってきた。 避難訓練とか予防接種とか健康診断とか、とにかく授業が何かでつぶれることが嬉しくてしょうがなかった。 今となってはいい思い出だ。
学生服に白い肩掛けかばん、俺の時代は学生帽とかもあったんだよ。 確か在学中に学生帽かぶらなくてもいいことになったんだけど。 小学生まではテストの問題は「次の問題を解きましょう」だったのに、中学にあがった瞬間に「解きなさい」と命令口調になっていたことが気に入らなくて、「中学というのは何て殺伐とした世界なんだ」と驚愕したりした。 体育祭の組体操の練習がかったるくて、朝礼台(うわ、朝礼台だって、懐かしっ)の上からエラソーにイチャモンつけては「やり直し」を繰り返させるセンセイに「お前がやってみれ」とか思ったもんだ。 冬の体育は寒くて、センセイが来るまでの間、昼下がりの日差しで温まった昇降口の鉄扉に体をびったり貼り付けさせてぬくぬくしてたことまで思い出したぞ。 ああ、人間て何て多くのことを忘れてしまうんだろう。 まだまだ眠っている記憶はありそうだ。
[ 2005年09月16日
00:00 ]
【時代・世代】
文明の弊害
例えばだ。 ケータイが普及しただろ。 電話番号とか覚えなくなっただろ。 待ち合わせ場所とか決めなくなっただろ。 行き当たりばったりで何かあったらケータイで連絡とるだろ。 連絡とれちゃうから時間とかにルーズになるだろ。 何かあったら情報は全部ケータイに入ってるだろ。
あとカーナビが普及しただろ。 自分で道とか覚えようとしないだろ。 言われるがままに動くだろ。 自分で判断しなくなるだろ。 今の年寄りのボケより、今の俺らが年とったときの方が 絶対ボケとか激しいよな。 絶対。
こないだ早朝のバイトしてたらなんか体じゅうつぎはぎだらけのブリキのおもちゃみたいなおじいさんが買い物に来て、胃袋とっちゃったから歩いてるとバランス悪くて片方に体が傾いちゃうだとか、自分は糖尿病歴が長くて、前から後ろから同じものが両方出ちゃうだの、なんか糖尿病にまつわる症状のすげぇ痛々しい鬱な話を山盛りで聞かされました。
一緒にバイトに入ってたのがカトリーヌ先輩だったから良かったけど、ティーンの新人さんだったら泣いちゃうよあの話は。正直、今鬱病なので僕でも泣きたくなりました。 (カトリーヌ先輩とは日記にたびたび登場する、女らしからぬおっさんタイプの、あっち系のネタがオールOKの、変だけど面白い先輩)年寄りってのは何なんだろうな。 体を大事にして欲しいとは思うんだけど、なんか病気の話を嬉々として話したり、ぐじゅぐじゅに膿んだ傷口を見せたり、そーいう感覚はどんなに努力しても理解できない。 というネタをここに書こうとした矢先、先日、うちのおとんが歯医者から帰って来て、なぜか治療の過程を克明に説明し始めました。 あんたも同類か、おとん。 聞きたくない。そんな話聞きたくないから。 それを聞かせて何を望むのか。 話を聞けば傷が回復するとか体が癒えるとかなら我慢して聞いてあげてもいいけど、そーいう話をすることで一体何になるのかと。小一時間問い詰めたくて仕方ありませんでございますわ。 じーちゃんとかおっさんの思考回路の理解に苦しむことがしばしばある。 そーいや(これは仕方ないことだけど)おとんの笑いのツボとかも昔から僕とずれてるんだよな。 テレビとかでおとんが笑うところって何が面白いのかさっぱりわからないんだけど、逆に僕とかおかんが笑うところではおとんがシラケてる。 摩訶不思議、中年おやじ(と、それ以上のおじい)。 これは、年をとれば僕も感覚が似てくるのか、それとも、生きた時代が違うというのが原因であって、僕が年をとっても笑いのツボは今と変わらないけど、それが逆に若い世代に理解されなくなっていくのか。 まぁ年をとってその時になったら今抱いていた疑問なんて忘れてそんなことどーでもよくなるんだろうけど。 【ランキング】年寄りのすることもわからんが若いヤツ(というかガキ)のすることもすでにわからんけど。
[ 2005年06月16日
23:24 ]
【時代・世代】
発明
世界初の折り曲げ可能な時計とかさあ。 別に折り曲げなくたっていいじゃんとか思うんだけど、そーいう僕は全てにおいて進化し続けようとする人類の異端児なんですかね。 人類失格ですか。 まぁ、こーいうことが出来るようになったことでこの先色々なことに応用して画期的な発明がされたりするわけだから、この際実用性とかは関係ないんだろうけどな。 時計が折り曲がることが凄いんじゃなくて、「今まで出来なかったことが出来るようになった」っていうのが多分この業界の人たちにとっては重要なんだろうけど、果たしてこれが転じたところで何の役に立つのやら。 そーいや折り曲げ出来る時計なら漫画の中でならすでにあったな。 しかもアナログで。 ジョジョの奇妙な冒険第5部、トリッシュのスタンド、「スパイス・ガール」。 彼女の能力で時計をやわらかくして、決して壊れることのない時計を作り、その秒針よりもスローな動きでノートリアスB・I・Gを倒してた。 【ランキング】あ、ごめん、マニアックな話で。
そういえば先日おばーちゃんがうちに遊びに来たとき、ペットボトルのお茶に口をつけてラッパ飲みすることをどうしても拒んで、必ずコップに空けたがったり、ストローを使って飲みたがるのね。 何でかなーって思ったら、昔の人ってのはラッパ飲みなんてあまりにもはしたない行為で、やっぱりどうしても抵抗があるんだってね。 言われてみれば「ああなるほど」と思うんだけど、言われてからなるほどとか思うあたりがそもそもヤバイことなんだよね。 まぁお年寄りと身近に接する機会がある人は周知のことかもしれないけど、おばあちゃん東北だから僕は滅多におばあちゃんと接する機会がなくてね。
高齢者と接する機会が少ない人は自分の生活していることが全て当たり前になるあまり、世代を隔てた人の感覚が想像すらつきにくい。 自分ではあたりまえのことが、高齢者にとっては「とんでもないこと」だったりして、そういう感覚の違いって思わぬところでお年寄りに無思慮な行為をすることにつながりかねない。 だからただ親切な心があればいいってものじゃなく、自分には無い、相手にとっての常識ってものを知ることが必要なんだと思ったよ。 親切ってのは自己満足で成り立つものじゃないからね。 相手にとってその人のためになるかが問題だから、独善的ものは親切でも優しさでもない。 無論、お年寄りに限らず、何らかの特別な事情を身体や精神に負っている人に対する接し方においてもしかりだな。 【ランキング】相手の立場になるにも限界はあるだろうけどね。
今の年よりはまだ戦争の経験があったり、食べ物や私生活もまともに送ることが困難だった人がいるけど、やがてそういう経験のある年寄りがいなくなるんだよね。 そうなると、年をとることで若かった時代に比べれば感性も確かに年寄りっぽく変わってくるだろうけど、ただ「じじくさい、ばばくさい」というだけにすぎず、今とこれからの高齢者ってのは明らかに違ってくるよな。 物のありがたみを当然のごとく生きてきた僕たちの世代が高齢者になったとき、若い世代をたしなめたりすることも少なくなるだろうし、高齢者じゃなくても親になった時点ですでに子供に贅沢させ続ける生活が続くと思う。 ファミレスやファーストフードっていうのが僕たちが小さい頃は親戚が集まったときとか誕生日なり何なり、何かのイベントの時しかいかなかったけど今や日常的に家族連れをレストランで見かける。 それは時を経ればさらに輪をかけたものとなり、あらゆるものが「当たり前化」する。 そういう感覚の麻痺が今後、いかなる弊害を生み出すかなんて想像もつかないけど、なんかちょっと怖いな。
あと、今は色んな娯楽が増えて、50代以上のシニアクラスもパソコンをたしなむ世の中。 今の時点でシニアからパソコンを始めたりするわけだから、若い頃からパソコンを当たり前のように使ってる僕たちは、老後の過ごし方って明らかに今の高齢者とは違うと思う。 それはすごく楽しそうではあるしボケの防止にもなりそうだから特に弊害があるとは思えないし,インターネットによる交流でむしろ孤独死とかも無くなりそうでいいとは思うけど、なんか奇妙だよね。 今までの年寄りのイメージが覆される。 今までの高齢者は貧しい時代を生き抜いた人たちで、その時代を生き抜いたなごりとして服装もそれなりに高齢者風だったりするけど、僕たち今の若者が高齢者になったとき、いきなり服の好みが転じたりするとは思えない。 そのへんはやっぱり、自分の生きた時代に定着したファッションが継続され、バスケの選手みたいな格好だとか、ヘアコンタクトで増やした髪の毛でアフロとかドレッドヘアの年寄りがいたりして、むしろ「それは若者のスタイルだろ」というのが年寄りのステイタスになったり。 ファッションとかに懲りまくる情熱っていうのが年寄りっぽい、とされ、若者のステイタスは「無気力」。 自分を磨こうとする人間が「何じいさんみたいにはりきっちゃってんの」みたいな時代もありうるかもしれない。 あるいは若者には別の流行が訪れたり、あるいは50〜60年代ぐらいのレトロなファッション、今で言う「すたれたはずのファッション」が主流になり、今の若者っぽいスタイルが年寄りのスタイルとなることもありうる。 僕たちが年をとる頃には、カラオケやゲームなど若者用の遊びも、年寄りの娯楽となり、未来の若者はもっと別なもので遊んだりとか。 【ランキング】もうめちゃくちゃだな。
昨日夜勤に僕が出勤したとき、最近入ったらしい新人の女の子が入ってました。 彼女は何かと僕に気をつかってくれてるようで、 「ぶ、豚串、廃棄処分にしたんですけど、食べますか?」 とかいきなり聞かれたのね。 まあ、期限の切れた食い物を店員が食うのは日常茶飯事なんですけどね。気が向かなかった(というかダイエット中なので)ここは 「冷めると固くなるし、俺はいいよ」と断りしました。 ところが向こうの食いつき方がすごい。 「でもまたあっためればいいですよ」 「えっ、マジで?別にそこまでして豚串食べたいとは思な・・」 「残しておきますよ。」 「あ、いや、だから俺は別に」 「あとで食べてくださーい」 「ど・・・どうもありがとう_| ̄|○」 こう言っちゃ何だけど、結構地味なカオしてるんですよ。まあ僕は好意は好意として受け止めるタイプなので別に迷惑とか思わないんですが、ただ単純に僕の思考とのあまりの違いにとても驚いた。 よくそこまで強く押せるなってひたすら(゚Д゚)ポカーンというか。
相手が「いらないよ」と言ったら僕だったら「あ、そうですか」と収まることしか頭に浮かばず、あそこまでアクティブな思考回路はまるで別の生き物です。 僕の目から見たら「変な子」でしかなかったんですが、ある意味ちょっとうらやましいな。ああやって自分の思うことをストレートにオモテに出せる子は。 というか単にジェネレーションギャップか? あとでバイト先の履歴書見たら17歳ということが判明。若っ。 若いと言えばもう一人、天然の女の子がいるんですが、こないだ一緒に早朝勤務入ったら、なんか自分が観た映画の話を一方的にしはじめて、 「こういう映画があって面白いですよ」って話で終わるならともかく、最初から最後まで、観た映画の話を勤務中、接客以外の時間ず〜〜〜〜っと話してるんですよ。 彼女はついにほとんどの映画のあらすじをしゃべり終わってしまいました。 で、最後に「絶対面白いから見てくださいよ」とか言われても、今、キミからほとんどストーリー聞いちゃったもの俺・・・。 このGOING MY WAYっぷりはどうだ! いや、別にあの映画の話が迷惑だとかうざったかったとかいう感覚は特に無い。繰り返すけどただ自分との違いに驚いたというだけの話です。 僕はほとんど相槌しかうってなくて、聞く気無いのは明らかなので、もしも立場が逆だったら、相手が不快に感じるからとかそういうの抜きにしても、僕は場の空気を察してその話題は直ちにやめると思うんですが、そういう相手の空気を読む感覚とか機能は彼女らについていないんだろうか。 僕は男と女の考え方の近いについて今まで何回か記事を書いてるけど、これも男と女の違いなのか?・・・いや。やっぱり世代とか年齢層の違いだろうな。 つっても映画の方の子は5つくらいしか差がないんだけどね。 今回は別に不快感とかあったわけじゃないけど、こーいう、自分の道しか見えてなくて突っ走るタイプを相手に不快感をともなうやりとりをしたら、その「不快さ」は「とても不快」の域だろうな。 とか、勝手に想像しちゃいました、ごめんなさい。 【ランキング】別に悪口とかじゃないの。
「全く近頃の若いもんは・・・」っていうセリフは今や決まり文句になってますけどね。 こういうようなことを最初に言い始めたのはいつ頃か。 実は歴史時代のはじまりであるエジプトの碑文からさえこの言葉が解読されているらしい。 つまりその頃から「近頃の若いものは」「近頃の若いものは」と歴史上繰り返され、古い世代が常に若い世代に失望し続けていたとしたら、社会もそれと比例して衰退していくのが筋ってもんです。 でもほんとに人間は世代が新しくなるごとに見下されていくほど愚かな道を歩んでいったのかというと、事実がそうとは限らない。 「まったく、大人は子供のことをわかっちゃいない」 「大人は薄汚い」 という若い世代の声もあるわけですよ。 ほんとに若い世代が古い世代に失望していたとしたら、社会は若い世代によって歴史上改善され続けていなくちゃおかしい。 古い世代と新しい世代。 言ってることが正しいのはどっちか。 なんでこんな矛盾が生じてしまうか。言うまでもなく物事を客観的に見る視点を失って自分中心になってるからだろうな。 大人と子供は別の生き物ではないけど、それぞれ自分がいずれ大人になることや、自分がかつて子供だった頃のことを忘れてしまう。
もちろん双方に欠落した点があるのも事実ではあるんだけど、確かに改善されている部分もあり、代々乱れてきた部分もあるんだろうね。 だけど大人については言いたいkとがある。 昔の時代の子供と、色々な娯楽と利便性の富んだ今の時代の子供が放っておけば全く同じであるほうがむしろおかしい話で、それを「近頃の若いもんは」と批判だけするのはおかど違いってもんです。 だからこそ大人がより多くのことを子供に教え込まなきゃいけないんじゃないかと僕は思いますよ。 ただ、教育と、ただ当り散らすのとは違う。 方法を誤れば子供は返ってねじまがるだけだから、子供に言い聞かすと同時に自分にも当てはまることなんだと思いながら説教たれれば、何かしら伝わるもんはあるんじゃないですかね。 そういえば先日の新聞でこんな記事を見つけたよ。 学校5日制に保護者の4割が反対。子供の学力低下を懸念しての結果らしいですが、もちろんそれもあるんでしょうけど、その半数近くは、親としての責任放棄が占めるような気がしてなりませんよ。 要は子供の教育を学校任せにしたいんだろ、と。 まあこれは僕の勘でしかなく、根拠はありませんけどね。 「近頃の若いもんは」と新しい世代に思わされる傾向は、自分らにも原因があるってことに気づいてる大人はどのくらいいるのかね。 子供に対する親の責任について似た記事を以前に書いたのでこちらも紹介。 ⇒【社会】世代別犯罪↑小学生が偽札をつくった事件ですが、決して世も末という突拍子もない事件ではなく、大人の職務怠慢にも注目すべき。 【ランキング】目を覚ませ大人ども
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