人生を大きく分岐させるものといえば、人との出会いもそうですが、進路、学業、趣味、本との出会い、就職、など色々あります。
しかしその人生をもっとも大きくわけるもの、それはやはり「生と死」でしょう。
人生には無限の可能性が秘められている、なんてよく言いますが、全てには同意する気にはなれませんが、まあおおかた、おっしゃる通り、っていうような気がします。そして死はその「可能性」を根こそぎ奪ってくれちゃいます。
その、最恐最悪の人生のはずれくじ「死」ですが、それが自分で選んだ道(自殺)だったとしてもそれは「必然的」とは言いがたい。
まだ生きようと思えばいくらでも道はあったはずだし、「必然性」について言うなら、病気のほうが自殺より高いでしょう。
しかし事故の場合。これはもー、なんとも切ない。
たまたま、外にジュースを買いに行ったばっかりに交通事故、なんてなった日にゃあ、あんた。
その人が道路を渡るときに左右の確認をしなかった、ということ以外にも、多くの不運な偶然事項が要因として挙げられる。
1.喉が渇いていた、あるいは(客が来るなど)ジュースが必要だった
2.ジュースが家になかった
3.たまたまその時間だった
4.たまたまその車がそこを走っていた
他にも色々あるだろうけど、この条件の中の一つだけでも欠けてればその人は事故に遭わずに済んだのかもしれないし、こんな些細な偶然の重なり程度で、二十数年間の人生がパァになるのであれば、それこそ生まれてきた意味を問いたくもなるだろう。
交通事故の場合、
どこまでも遡っていけば、まだ色々言えそう。
5.コンビニがたまたまそっちの方角だった。
6.家もたまたまその通りに面していた
7.学校に近いということで1年前に(一人暮らしで)ここに引っ越してきたところだった
(引っ越していなければ生きていたかもしれない)
8.別の学校を選んでいればここに引っ越してこなかったかもしれないがその学校を選んでしまった
・・・まあ、事故に遭うなんてのは、別のところに住んでても事故に遭いそうだし、やっぱり(その人の注意力の無さだとかで)多少なりとも必然性はあるのかもしれないけど。このなかのどれか一つでも欠けてれば生きてたかもしれないと考えるとやりきれねー。
以下、前の掲示板でこの記事にいただいたコメント▼
名前: けいりん 投稿日: 2003/06/04(水) 12:09
>死
ある人の場合。
最初は「歯が痛い」って歯医者にいったんですよ。歯の治療をしたんだけど痛みはいっこうに良くならない。で、しばらくあちこちいじったあげく、「神経科」の医者を紹介され。
そこから「麻酔科」「放射線科」を経て、入院と言うことになりました。上顎部のガンだったのだそうで。入院後、半年ほどであちらへ。
なくなった後、「もっとはやくガンだと分かっていれば」「もっと勘のいい歯医者なら、無駄な治療をせずとっとと総合病院にまわしただろうに」
というような話をいくつかききましたが、私にはどうしてもそういう風には思えませんでした。
運命とは言わないけれど、すでに起こってしまったことは、それぞれの時点でのそれぞれの人の「最善の選択」の結果と思えて。
もちろん、酒気帯び運転を繰り返したあげく悲惨な事故を起こす
トラックのドライバーのような例まで、「最善の選択」とはいえませんが。
そういえばつい昨日、重度の腸閉塞を放置されて亡くなった子どものニュースがありましたが。明らかに当直医の対応が不適切なのに、お母さんが「私がもっと強く『先生、ちゃんと診てください』と言っていれば」といいながら泣いていたのが切なかったです。
親ってああいう後悔の仕方をするものなんですかね。
そして、前述の例ともかぶりますが、医者の選択って大事なのだなあ、と。
もっとも、この腸閉塞の子の場合、「小児救急に力を入れている」はずの病院だったそうですが。
選択の結果が「死」というのは、やはりやりきれないものですね。というか、「死」そのものがいつどんな状況でもやりきれないものなのだけど。
>けいりんさん
>死
「限度がある」っていうのは俺の掲示板での発言の口癖となってますが、ここでもそんな感じがします。
「最善の選択」については、それが本当にわかりにくい症状であったならやっぱり「最善の選択の上での結果だった」とあきらめがつきますが、そこらへん、シロウトが判断するのは難しい。
医師として病状を見極めることができたであろう症状が出ていた、という可能性もあるでしょうし、そうなるとやはりいくらでも後悔することになる気がしますよ。
もっとちゃんとしたところで診てもらうべきだった、あるいはもっとちゃんと診てもらうように頼んでいれば・・・とか。
選択されてきたものが今まで最善であったかって保障はどこにもないわけだし、当事者がそう考えてしまうのは仕方ないというか。
だから
>親ってああいう後悔の仕方をするものなんですかね
↑
これは「親だから」というよりは身近な人間に不幸があった場合
「人は」そうならずにすんだ可能性はなかったのか、と限りなく考えたがるものなんじゃないかな、と。
「限りなく」というあたり、例え医師の対応が不適切であったとしても、その出された「結果」に結びつく要因を片っ端から後悔する。
それは俺が事故について番号振って箇条書きで書いた、「この中のどれか一つだけでも欠けていれば、そうならなかったかもしれない」っていう考え方に似てるかも。
人間、ほんとに後悔しはじめたら生まれたときまで遡ってしまうので好ましい考え方じゃないことは間違いないですが、「そういうもの」ってことじゃないっすかね。
特に生死についてはなおさら。
【ランキング】無数の分岐点があると同時に無数のゲームオーバーも存在する
引き続きパラレルワールドの話。
関連記事:
パラレルワールドその1今ちょっとRPGゲームをやってて、かなり自由度が高いゲームだったんすよ。
選択によってはストーリーがかなり大きく左右される。
それで、俺はこの選択に大いに頭を悩ませました。こんなときに起こす行動は、セーブ(記録)して、両方のパターンをためしたりするわけですが。リアルの人生ではそうはいかない。
でもゲームだとみごとに、その、分岐した二つの世界を見ることができるわけなんですよ。「ああ、こっちを選んでたらこうなっていたのか。これはこれで面白いな」なんて思ったりするわけですが。
(今ではこんなことで悩んだりはしねーだろうが)俺が相当迷ったのは、かつて俺がお子ちゃまだった頃、ドラクエ5の結婚イベントで、ビアンカをとるか、フローラをとるかでした。
相当苦悩しました。セーブすればいいんですが、それじゃあつまんないからどっちか一方を選んでそっちの世界だけを見る、と心に決めてプレイしてたので、まだ子供で恋愛にも免疫のなかった俺はかなりドキドキしたんすよ。(フローラは見た目カワイイし、ビアンカは性格的に俺の好みだし)
「ああ〜、どっちを選べばいいんだぁ〜!モテる男はつらい!」
とかほざきながら(爆)。
それが、フローラと結婚してたらあんな子供が生まれ、ビアンカと結婚してたらあんな子供が生まれ、全然違う人生が待ってるわけで。
俺がよくこーいうことを考えるようになったのは、大学1年くらいの頃がピークだったかもしれない。
俺、1年浪人したんですが、これも相当悩んだ結果でした。
いや、浪人以前に、志望校に合格してたら現役で大学に入ってただろうし、落ちててもすべり止めで妥協してればその人生もあったはず。
で、俺はそのふたつの道を歩むことなく、1年浪人の道を歩むことになったわけなんですが。
で、1年後、某大学に合格して入学して、一人の男から声をかけられた。何となく仲良くなってそこから輪が広まって、それで大学4年間、つるみ続けることになる友達ができていったわけで、そいつらのおかげで俺の大学生活は相当楽しいものでした。
まさに「浪人したからこそ」そいつらにめぐりあったわけで、そいつらがいない大学生活なんて想像できない、と俺に思わせるほどでしたが、一歩、違う選択をしてれば(例えば妥協して滑り止め大学に入学してたりしたら)俺はそいつらのことを全く知らずにいたかもしれない。
いや、1浪して入っても、一番最初、たまたま俺に話し掛けてきた彼がいなかったら、同じことだったかもしれない。
で、別に物事をネガティブに考えたりするわけじゃないですが、
逆にこう考えることもできる。
『俺が1浪してあの大学に入ってたせいで、妥協して他の大学に入っていれば知り合えたはずの人たちに、俺は知り合うことなくここまで来てしまった』
選択によっては、他にどんな出会いが俺を待っていたかわからない。
でもこんなこと考えてもどうしようもないし、
マイナス思考でしかないかもしれないけど、事実には違いない。
「君にめぐりあえてよかったよ」なんていうセリフがありますが、その「君にめぐりあった」せいで、他の出会いが犠牲になってると言う言い方もできるわけだ。それは仕方のないことですけどね。
一歩間違えば「君に出会えてよかった」というセリフは他の人に向かって投げかけられていたのかもしれないわけですよ。
どーよ。ちょっと怖くねー?
死に物狂いで手に入れた至福もそれが最善かどうかもわからない。
パラレルワールドって実際にあるかどうかなんて話はどうでもいいんですが、アレって理屈の上では存在しうるものなんですかね。
タイムマシンだとか、時間の行き来をする、ってのはもうこれは
理屈の時点ですでにありえない話だとは思いますが。
・・・やぁ、いきなりですが時々不思議に思うんですよ。
人生って無限の分岐点があるわけじゃないっすか。その一つ一つの道を選んで俺たちは現在にいたるわけですが。
そこで、「もしも、あの時別の決断をしてたら、今の俺とはまるで違う俺がいたのかもしれない」とか思うと不思議。
その道を選ばなかったというだけで、その道を歩むはずだった俺はもうどこにも存在しない。じゃあもしその道を選んでたらどうなってたのかなー、っと。
これは選択をするたびに、紙一重の差で、存在するはずだった俺が存在しなくなるってことで、そう考えるとなんかちょっと怖くなる。
となると、例え今、ここに存在している俺とは直接関係がなくても、今、実際ここにいる俺が選ばなかった道を選んだ場合の俺が、どこかでその道を歩んでいて欲しい、なんてバカみたいなことを考える。
だってこの世で得るものって全てが非常に貴重だと思う。今の状態を後悔するんじゃなくて、ある道を選ぶことで失われるものっていうのも必ずあるはず。
どっちの道を選んだ方が良かったとかじゃなくて、ただ、無数に失われているものがあることにも気づかないのも何だから、今ここにいる俺が失っても、別の道を進んだ俺がそれを得ていれば何だか救われるような気がするんだ。
以下、この前の掲示板でこの記事にいただいたコメント▼
名前: けいりん@SF者 投稿日: 2003/06/04(水) 11:36
スレとはズレるんだけど。
>パラレルワールド
うい、ちゃんとした物理学者が提唱している考え方が元になってます。量子物理学でいう「多世界解釈」ってヤツですね。
参考書を挙げようと思ったんだけど私が読んだわかりやすい入門書は引越荷物の中に埋もれているので・・・ブルーバックス、岩波新書などにもいいものはあると思います。
「量子力学入門」みたいな本がよいです。できるだけ数式のない者を選べばけっこう面白く読めると思う。
>>>2タイムマシン
実はこれも物理学の論文に書かれてたりします。ただし作るためだけに多大なエネルギーを費やしますが。
「ワームホール」っていうのは実在するらしいです。時空の虫食い穴。ドアのないどこでもドアみたいなヤツね。で、これを人工的に作って「安定させ」ます。で、一方を地球の軌道上にでも浮かべておき、もう一方を宇宙船で引っ張って、できるだけ速い速度で遠くに行って帰ってきます。
すると相対性理論のいわゆる「ウラシマ効果」によって、持って帰ってきたほうは「より時間の経っていない=古い穴」になります。
そこで「置いておいたほう→帰ってきたほう」で「現在→過去」、逆向で「現在→未来」への通行が可能になると。自由に時間を選ぶというわけには行きませんが、一定幅の時間旅行なら可能になるわけですね。過去に行く方は、「出口が地球に戻ってから」つくようにしないとエライ遠くについてしまいますが。
ただし、「ワームホールを造る」とか「安定させる」っていうのが、現代の科学では無理っぽいです。ホーキングなんかは時間旅行が気にくわないらしく、「それができたら時間旅行が可能になるから、ワームホールを安定させることはできない」というふうに言ってるみたいです。
で、本題。
私は今でもよく考えますよ。「こうでない自分」について。で、選択するときはいつも悩みます。後で選ばなかった方についていつまでも考えてしまいそうで。
でも、例えばファミレスでメニューに迷ったとき、適当に決めても、それなりに満足は行くし、自分の選ばなかったものを隣のヤツが食っていたとして、それを見てうらやむ気持ちって、どんな場合も一定でしかないんですよね。案外人生だってそんなもんなんじゃないかと。
たとえば今配偶者に不満があるとして、「あのときコイツと別れておけば」なんてことを考えるとしても、そういう人って言うのは相手がどんな人であれ、一定の不満を持つんじゃないかなあ、とか。
そう思うようになってから、すこし「気楽に後悔」するようになったかな。
うーん、なんていうのかな、僕が言うところの、無数にある分岐点に対し「そうしなかった自分への後悔」っていうのとはちょっと違うんですよね。
>それを見てうらやむ気持ちって、どんな場合も一定でしかないんですよね
↑
配偶者の例はちょっとあてはめにくいですが、例えばファミレスのメニューの例でいうと、俺は別に「別の選択にすればよかった」と後悔するんじゃなく、単に好奇心だったりするんですよね。
例えば俺は大学受験で浪人を選んだことは後悔してないですが、
仮に他の道を選んでたらそれはそれで180度違う人生が待っていたかもしれないと思うと、湧き上がってくるのは「そっちにすればよかったなあ」っていうんじゃなくてどんな人生だったのかなあ、っていう好奇心。
人生なんてどこでどう転ぶかわからないし、なんつーか・・それが楽しいじゃないっすか。だからどっちの方が良かった、とかいうんじゃなく、全く違う自分になっていた世界もありうるんだな、というただそれだけで、こうじゃない自分と一口に言ってもそれはどんな世界だろうかという好奇心。
それを見ずして全く無のままであるよりも、例え自分がそうじゃなくてもいいからどこかに存在していてほしいなあというか。
「白い細い線」
それぞれが「線」を修飾するならこれで正しいのだろうが、
やはりこれは白がかかるのは素直に考えて「細い」だろうから
「白く細い線」とすべきなのだろーか。
ご意見いただきました↓
名前: えっけん・・・ 投稿日: 2003/05/09(金) 12:22
表現的には「白く細い線」に1票を投じます。
「白い細い線」と言う表現には、たいした根拠もなく、無知くささを感じます。
ただ、究極的には、こちらの意図が通じればどちらでも良いのかも。
ちなみに俺も「白く細い線」派ですね。
(すでに「白い」と別スレに書いたので訂正ききませんが)
句読点でも入れれば形容詞のままでも許容できそうですが。
「白い、(そして)細い線」
【ランキング】どーでもいいとか言わない。