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[ 2005年02月19日 22:11 ]
生死死の実感 

僕は身内の死は弟が初めてでした。

両親や祖母も健在。祖父は他界してますが、僕の生まれる前でした。ということもあってか最初は正直実感が湧かなくて。

年中弟の介護に明け暮れていた生活がピタリと止まる。

その意味がわからない。

弟がいないっていう意味がわからん。

俺は生きてんのに。親でさえ生きてんのになんで弟が先に逝くの。

目の前にあるリンゴを無いと言われても納得がいかないように、僕のこれまでの人生のほとんどを一緒にすごしてきた弟がいないとか言われても「何言ってんの」としか言いようがなかったです。


だけど弟が負っていた病気のことは幼い頃から知らされていたし、僕はつねに覚悟と共に生きてきました。

だから弟が他界しても想像してたほど取り乱さなかったのは、その日ごろの覚悟のおかげだったのか。幼い頃から死というものについて直視しながら成長してきたことから、人並みならぬ感覚が身についてしまったのか、とか、色々考えました。

もちろんそういうのも含まれるだろうけど、でもやっぱり、ドタバタしたあとで夜寝る時、やっぱり涙がこらえきれなくて、自分が落ち着いてるのか、耐え難い悲痛を感じているのか、なんだかよくわからなくなったりするんですが、あれから一週間が経過し、やっぱりどこか落ち着いてる僕がいたりするんだけれど、なんだかまずいのはどうやらそれ以降になりそうな気がする。

今までは葬儀やら何やらでドタバタしたり、親戚の人が出入りしたりすることで、実感として受け止める暇が無かったんだよな。

こういう葬儀でドタバタしたりっていうのはおそらく人間の知恵なんだろう。死者の魂を葬るというより、残された人間悲しみを感じさせる暇を与えないことで少しでも気持ちを穏やかにしたりするんだろうな。

ようやく落ち着いてきてさ。
この頃からなんか・・・。

はぁ。

二階にいて、リビングから呼ばれたりすると、
「弟の移動かな?ベッドに移るのかな?トイレに行くのかな?」
という思考が自動的に働いてしまう(弟が負っている障害は他者の介護を必要とするので、普段から僕がよく呼ばれることが多く、習慣になっていた)。

バイトから帰ってくると、リビングにいるはずの弟がいなかったり、芸能人の顔と名前が一致しなくて、「弟に聞けばわかるかな」と思ったときに弟がいなかったり。

そういう、生活の中で一つ一つ、「もういない」っていうことを実感していくことで、徐々に人は受け入れて行くというパターンもあるのかもしれない。

弟の大好きだった食べ物が店に並んでてさ。
通夜の前日以上に涙が止まらなかったんだよ。
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