[ --年--月--日 --:-- ]
スポンサー広告スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



トラックバック(-) | コメント(-) |編集

[ 2003年05月31日 13:55 ]
人間パラレルワールド その3 

人生を大きく分岐させるものといえば、人との出会いもそうですが、進路、学業、趣味、本との出会い、就職、など色々あります。

しかしその人生をもっとも大きくわけるもの、それはやはり「生と死」でしょう。

人生には無限の可能性が秘められている、なんてよく言いますが、全てには同意する気にはなれませんが、まあおおかた、おっしゃる通り、っていうような気がします。そして死はその「可能性」を根こそぎ奪ってくれちゃいます。

その、最恐最悪の人生のはずれくじ「死」ですが、それが自分で選んだ道(自殺)だったとしてもそれは「必然的」とは言いがたい。
まだ生きようと思えばいくらでも道はあったはずだし、「必然性」について言うなら、病気のほうが自殺より高いでしょう。

しかし事故の場合。これはもー、なんとも切ない。
たまたま、外にジュースを買いに行ったばっかりに交通事故、なんてなった日にゃあ、あんた。


その人が道路を渡るときに左右の確認をしなかった、ということ以外にも、多くの不運な偶然事項が要因として挙げられる。

1.喉が渇いていた、あるいは(客が来るなど)ジュースが必要だった
2.ジュースが家になかった
3.たまたまその時間だった
4.たまたまその車がそこを走っていた

他にも色々あるだろうけど、この条件の中の一つだけでも欠けてればその人は事故に遭わずに済んだのかもしれないし、こんな些細な偶然の重なり程度で、二十数年間の人生がパァになるのであれば、それこそ生まれてきた意味を問いたくもなるだろう。

交通事故の場合、
どこまでも遡っていけば、まだ色々言えそう。
5.コンビニがたまたまそっちの方角だった。
6.家もたまたまその通りに面していた
7.学校に近いということで1年前に(一人暮らしで)ここに引っ越してきたところだった
(引っ越していなければ生きていたかもしれない)
8.別の学校を選んでいればここに引っ越してこなかったかもしれないがその学校を選んでしまった

・・・まあ、事故に遭うなんてのは、別のところに住んでても事故に遭いそうだし、やっぱり(その人の注意力の無さだとかで)多少なりとも必然性はあるのかもしれないけど。このなかのどれか一つでも欠けてれば生きてたかもしれないと考えるとやりきれねー。

以下、前の掲示板でこの記事にいただいたコメント▼

名前: けいりん 投稿日: 2003/06/04(水) 12:09
>死

ある人の場合。
最初は「歯が痛い」って歯医者にいったんですよ。歯の治療をしたんだけど痛みはいっこうに良くならない。で、しばらくあちこちいじったあげく、「神経科」の医者を紹介され。
そこから「麻酔科」「放射線科」を経て、入院と言うことになりました。上顎部のガンだったのだそうで。入院後、半年ほどであちらへ。

なくなった後、「もっとはやくガンだと分かっていれば」「もっと勘のいい歯医者なら、無駄な治療をせずとっとと総合病院にまわしただろうに」
というような話をいくつかききましたが、私にはどうしてもそういう風には思えませんでした。
運命とは言わないけれど、すでに起こってしまったことは、それぞれの時点でのそれぞれの人の「最善の選択」の結果と思えて。

もちろん、酒気帯び運転を繰り返したあげく悲惨な事故を起こす
トラックのドライバーのような例まで、「最善の選択」とはいえませんが。

そういえばつい昨日、重度の腸閉塞を放置されて亡くなった子どものニュースがありましたが。明らかに当直医の対応が不適切なのに、お母さんが「私がもっと強く『先生、ちゃんと診てください』と言っていれば」といいながら泣いていたのが切なかったです。
親ってああいう後悔の仕方をするものなんですかね。
そして、前述の例ともかぶりますが、医者の選択って大事なのだなあ、と。
もっとも、この腸閉塞の子の場合、「小児救急に力を入れている」はずの病院だったそうですが。

選択の結果が「死」というのは、やはりやりきれないものですね。というか、「死」そのものがいつどんな状況でもやりきれないものなのだけど。


>けいりんさん
>死
「限度がある」っていうのは俺の掲示板での発言の口癖となってますが、ここでもそんな感じがします。
「最善の選択」については、それが本当にわかりにくい症状であったならやっぱり「最善の選択の上での結果だった」とあきらめがつきますが、そこらへん、シロウトが判断するのは難しい。

医師として病状を見極めることができたであろう症状が出ていた、という可能性もあるでしょうし、そうなるとやはりいくらでも後悔することになる気がしますよ。
もっとちゃんとしたところで診てもらうべきだった、あるいはもっとちゃんと診てもらうように頼んでいれば・・・とか。

選択されてきたものが今まで最善であったかって保障はどこにもないわけだし、当事者がそう考えてしまうのは仕方ないというか。

だから
>親ってああいう後悔の仕方をするものなんですかね

これは「親だから」というよりは身近な人間に不幸があった場合
「人は」そうならずにすんだ可能性はなかったのか、と限りなく考えたがるものなんじゃないかな、と。
「限りなく」というあたり、例え医師の対応が不適切であったとしても、その出された「結果」に結びつく要因を片っ端から後悔する。

それは俺が事故について番号振って箇条書きで書いた、「この中のどれか一つだけでも欠けていれば、そうならなかったかもしれない」っていう考え方に似てるかも。

人間、ほんとに後悔しはじめたら生まれたときまで遡ってしまうので好ましい考え方じゃないことは間違いないですが、「そういうもの」ってことじゃないっすかね。

特に生死についてはなおさら。

【ランキング】無数の分岐点があると同時に無数のゲームオーバーも存在する
スポンサーサイト


コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ibbeh.blog2.fc2.com/tb.php/439-197e70fb














上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。