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[ 2005年04月15日 00:00 ]
生死死にたくなったらその前に2週間生きてみろ 

<高3男子自殺>テストの答案返却後、校舎から飛び降り

教師もこの生徒に特にきついことは言ってないらしい。この生徒の成績が上位であったことからも、学校側の言い逃れとかじゃなく多分それはホントだろうね。

ただ、今回のテストの成績というものがその生徒にとって相当の比重を占めていたんだろうな。


僕はここで命の大切さなんかを説くつもりはないです。

人生には本当に抜き差しなら無い状態というものが存在して、本当にその状態に追いやられた時どんな奇麗言も無力化し、死しか残されないという状況も存在しうる。

その計り知れない状況を把握しきれず
「そんなことはない、生きてさえいればきっといいことが・・」だとか
平気で言えてしまう人間こそ、その本当の窮地に遠く及ばない所でもちょっとしたことでまっさきに死を選びそうだと僕は思ってます。

さっき、僕は命の大切さを説くつもりはないと言いましたけど、確かに命っていうのは重いが、前述した抜き差しならない絶望の前にはいかなる理屈も無力で、その状況に至っては死を選ぶことも致し方ないという考え方です。

自殺はいけないことかというとそれは絶対的な真実ではなく
人間が、今ここに存在する世界の秩序と平和を守るために論じたものに過ぎない。

だから強いて言えば自殺はいけないっていうのは残念ながらその人の命の比重がどうのというより残された人間のための理屈というような気がしてならないわけ。

ただ誤解して欲しくないのは自殺を推奨したり示唆したりする目的でコレを書いてるんじゃないってこと。

ただ、頭から「自殺はいけない」と有無をいわさず否定するんじゃなく、極限の状態に至っては例外がある(死を選ばざるを得ない状況がある)ということを認めた上で、
「しかしキミは本当にその域に達しているかい?」
という疑問を投げかけたいわけ。

ただその本当の窮地というものを誰のどの尺度で決定付けるかが問題になってくるだろうけど、少なくともテストの点が悪いだとか仕事を無くすとか、人間が社会的に作り上げたシステム上での絶望感というのは
どんなに大きな物でも自ら死に至らしめるほどのレベルじゃないと僕は思ってます。

当事者にとってはそれが全てでそれぞれの価値観があるから故人には申し訳ないけどその程度で死を選ぶというのは人生をなめてると言わざるを得ない。

なぜなら社会的なものを超越した決定的な絶望というものも存在し、それでも生きてる人間が多くいるからです。それを超越した絶望感とはどういうものかを説明すると長くなるので別の機会にしますが。

「じゃあお前の体験を今ここで話せ」と言われても今すぐ明かすことは出来ませんが、正直僕も生き地獄を味わって来たクチです。

2週間。

死を決意しそうになったら2週間生きてみるといい。

その2週間の間に生きる喜びを発見できるなんて無責任なことは言わないが、少なくとも自分が今ここで死ぬわけにはいかない理由を見つけることぐらいは出来るはずです。

その時、自分は相変わらず死にたい気分でも、イヤでも生きなきゃいけなくなる。そこから突破口が見えるかもしれないし、見えなかったらそのあとに死んでも遅くはあるまい。

自殺を踏みとどまった人間はヘタレとか意気地なしとか言うのもいますが、そんなことで度胸つけてどーすんだって話。ヘタレ上等。死んだらキミの無念は金輪際他者に伝わることも無いことを覚えておくといい。
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