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[ 2005年10月12日 23:22 ]
総合槇原敬之槇原敬之ファンが少ない理由を考える 

少ないわけじゃないですけどね。
多分そこそこ売れてるんだよね?彼は。
まー僕は彼の音楽にしか興味ないので売れ行きとかそこらへんの事情はよく知らないんですけど、少なくとも僕の周りには圧倒的に槇原を聴く人間が少ないです。

以前にもその原因を考える記事書いたけど、また書いてみます。

まーね、彼は例の事件によってある意味有名になっちゃったわけで、ウソかほんとか知らないけど同性愛者説とかで敬遠する人も多そうだよね。

まーそこらへんについて「同性愛だから敬遠するなんてのはクドクド・・・」とか書き連ねても意味ないので、あくまで音楽に限った良し悪しについて書いていきたいんだけど、彼がラブソングを歌えばそれは実は同性の者に向けられた感がいなめないのは確かだと僕も思います。

差別や偏見はいけないけど、ラブソングとして素直に受け止めることが難しくなってしまうのはこれはしょうがないと思う。
そーいう理由で敬遠しちゃう人を責めるつもりは無いです。

だけど実際彼の音楽は、例の事件と同性愛発覚(?)により、詞の趣向がかなり変わったと言えるんじゃないかと思う。決して無関係ではないでしょうな(あくまで個人的見解で実際は知りませんが)。

loveからlifeへ、みたいなことを本人も言ってたな。

だけど僕はこれによって、本当に大切なものが何かを気づかせてくれる曲に幾つも出会い、むしろ以前の曲よりも趣向が変わったあとの曲の方が好きなんですよ。

なのに何故皆は興味を示さないんだろう。


と、問題提起しておいて何だけど、実は薄々理由はわかってる。

革命が起こってからの彼の曲は核心を突きすぎてるんですよ。
身も蓋も無い、っていうんですかね。

今まで一度も自分にウソをついたことが無いか
違うのに正しいとやりすごしたことが無かったか
問いかけた時僕は気づく
喜びも悲しみも 自分が全て選び心に招き入れていることに
by 太陽


▲自分の過ちを認めるってのはすごく勇気がいることで、
怒りや悲しみを人のせいにすることを許さない、
現実的には非常に厳しい曲。

当たり前さそれが普通さ
嬉しいことが無いと幸せと感じられないような君のままじゃ疲れるだけさ
あれが違う 誰と違う
それは何の意味もないこと
安心しなよ君は特別不幸じゃない
by Ordinary Days


▲この曲も、人生で悲しむことすら許してくれない。
本当にこんな生き方をしたら自分自身がつぶれてしまうし、人は悲しい時に手を差し伸べてくれる存在を求める。
そーいう人間にとってはあまりにもレベルが高すぎる曲。
最近の人間は特に軟弱だしね。
曲調はやわらかいけど、これは非常に厳しい曲。

僕は見たんだ
生まれたばかりの小さなかわいい子犬を囲んで
笑顔をこぼし撫でる人たちに紛れて
やっぱり同じように笑いながら小さな頭を撫でながら
革靴でシッポの先を踏みつける人を

確かに忘れていくことで人は生きていけると
全てを記憶のゴミ箱につめてしまう前に

あの胸がねじれた時に感じた痛みを
誰かに感じさせぬよう 覚えておくんだ

僕は問いかける
僕の中に僕の知らない僕がいて
慣れたはずの悲しみを見当違いの誰かで晴らさないように
by I ask.


▲これも。こーいう生き方をすることが難しいだけじゃなく、
こんな生き方が出来てしまう人は全く別のケースでも
自分を犠牲にすることを第一に考えながら生きざるを得ない。


・・・・つまり、「いい歌詞」ではあるんだけど、まるで悟りを開いた聖人が言うようなことばっかりで、確かにこんな生き方が出来れば周りは幸せになるだろうけど、己の身を滅ぼしかねない歌詞ばっかりなんだよね。

ところが人は自分が救われることを求めるでしょう。
だからイマイチ癒されない。

ましてや、ビジュアル系バンドとかやたら自暴自棄になってるだけのネガティブな詞とかと違って、槇原の場合は自分が傷つくことが他者の幸せに結びついてるからなおさら始末が悪いわけです。

常に自分の幸せしか考えない今時の人間たちに受け入れろというのが無理な話だ。

だけどその分、槇原の歌詞を好める人っていうのは、なんか無条件に仲良くなれそうだな、なんて僕は普段から思ってる。
だから槇原ファンの友達が欲しいんですよ。

音楽なんてのは趣味娯楽・エンターテイメントだし、ファンのヒイキと言われたらそれまでだけど、愛だの恋だので美しい言葉ばかり並べ立ててる歌詞より、認めなくちゃいけないことを認めるっていう姿勢は、恋愛に限らずその人自身の「生き方」だからね。

だけど世の中の人は、誰かに幸せを分け与えることで感謝されて、君も幸せ、私も幸せ、めでたしめでたし、っていう幻想を夢見て、そっちの意味での「いい歌詞」を求めるんだと思う。

それに対し槇原は、人の幸せのためには自分の心がけがなくては成り立たないっていうことを現実的に捕らえてるから他とは詞の質が違うんだと思う。

これはネガティブな発想でも何でもなく、事実であり、全てがめでたしめでたしになることを望む人間こそが妄想世界から抜け出せていないんだと僕は思うよ。

だけど人はそれを認めたくないんだよな。

例えば自分が手を差し伸べれば相手が自分に感謝してくれる、っていうのが人々が望むことだ。

だけど槇原の考え方は、その行為が独りよがりや独善的な行為に過ぎないんじゃないかというところまで考え、相手が嬉しいと思わないと、自分が手を差し伸べることで満足するだけじゃ親切とは言えない、という部分まで考える。

人々は、幸せこそ最大の理想だと考えるが、槇原は、周りの人間は幸せだと自分が思い込んでるだけじゃないかということまで考える。

事実、槇原の考え方の方が正しく、全ての人が幸せだということなんてありえないんだけど、日常的にこーいう考え方をしてたら自分が楽しめないし、生きていくのに自分が疲れてしまう。

間違ってることに目をつぶって、皆幸せだよな?そうだよな?そうにキマリ!と、むりやりめでたしめでたしにしないのが槇原なんだよね。

・・・話が長くなってますが。
ふと思いついたんだけど、漫画のお話。

昔は正義と悪がはっきりとわかれてて、スッパリ勧善懲悪でわかりやすいストーリーだったでしょ。

でも今は違うよね。
ストーリーはリアリティを限りなく追求し、正義の味方が全て正しいとは限らない。(横暴な上司や、警察の不祥事)

そして、一見悪役こそが、世の中の矛盾に耐えかねて立ち上がったりとか、それなりの(主観的ではあるにせよ)正義のもとに牙を剥いたりする。

音楽で言うところの槇原はその最近の漫画。

で、みんなはまだ、夢見心地のスポコン漫画みたいな世界に溺れてるんだよ。
努力すれば100%甲子園に行けるとか。
そーいう歌詞を求めてない?
だけど現実は違う。
努力しても敗れさる人間たちも存在することも忘れちゃいけないことを槇原の歌詞は教えてくれるんだ。

む、世間と槇原とのギャップを明らかにしようとしただけなのに、なんか槇原を聴かない人間を見下すような感じになっちゃったな。
明らかに槇原びいきな文章だね。
そんなつもりは無いのだよ(説得力ゼロ)。

Listen To The Music 2
槇原敬之

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明けない夜が来ることはない NORIYUKI MAKIHARA SYMPHONY ORCHESTRA “cELEBRATION” NORIYUKI MAKIHARA SYMPHONY ORCHESTRA ~cELEBRATION~ Listen To The Music 音楽誌が書かないJポップ批評 38~槇原敬之 マジカル・ヒストリー探検!
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▽コメント一覧(5)

>・・・・つまり、「いい歌詞」ではあるんだけど、まるで悟りを開いた聖人が言うようなことばっかりで、確かにこんな生き方が出来れば周りは幸せになるだろうけど、己の身を滅ぼしかねない歌詞ばっかりなんだよね。

同感・・・なんです。
言い方が悪くなるかもだけど、
『説教臭い』というか・・・。
もちろん。
良い意味でもあるんだけど、これ。

「明けない夜は・・・」とかも
そうだったんだけど、
1回聴いただけでは、はっきり言って、
何が言いたいのかわからん。。。けど、
なんか怒られてるような気がして。

何回も聴くと、感動というか、
スルメみたいなもんでさ。
あとから、じわーーーっっと。(笑)

マッキーの初期の頃の、
まるで、日記のような、
1回聴いただけで、その情景や、
主人公の気持ちがわかるベタな恋愛モノも、
今でも大好きだったりします。
[ 2005/10/13 00:14 ] [ 編集 ]

うう…まじで槇原の歌詞は超現実的だ。
仏教的とさえ言える。
あんまり大衆向けじゃあないね。
それに対し「世界にひとつだけの花」はなんなんだろう。「やれやれ、また大事MANブラザーズやKANのような、岡村孝子系の血を引くガンバレソングが出てきたか」と思ったが、あれは大衆受けする歌詞を確信犯的に書いたのか。ちゃんと歌詞を読めば違うのかも知れないけど、おれの受けた印象はそれこそ勧善懲悪のスポコン漫画に近い感じだった。ちょっと難解な芸術的映画を撮る北野武がたまに「座頭市」のようなエンターテインメントを撮るのと同じかな?

でもポピュラー音楽ってその性質からして、どちらかと言うと耽美主義・ロマンチシズム、現実逃避のために作られることが多い。だから槇原のような現実的でエンターテイメント性のあまりない歌詞はそれと相反する。だから槇原は詩や本を書いたほうがいいんじゃないかと思えてくる、わざわざメロディーに乗せないで。彼が本書いたら買うでしょいっべーも?

もしかして槇原ってシビアな現実に敏感に反応しすぎる感性があるために、思考停止状態にならないとやっていけなくて、それでクスリをやったんじゃないのかな?違うかもしれないけど。
[ 2005/10/13 03:53 ] [ 編集 ]

>AGさん

あとからじわじわ染みてくるのは僕も経験してます。

最初、その曲の良さがわからなかった自分を呪いたくなることもありますよ。

実はこんなにいい曲なのにナンデ今までこの曲をフツーに聴いてたんだ!?と。

この時間差攻撃がニクイ(笑)。

>日記のような
ああ、これもスゲーわかる。
想いを表現するためにひたすら綺麗だったり切ない言葉を羅列する曲が多い世の中だけど、彼の曲はその情景・シチュエーションが物語りのように描かれていて、じっくり聴くと他のどんなアーティストの曲よりもわかりやすい。

ただ、その短所としては、一本のストーリーになってるだけに最初から最後まで通して聴かないと話がわからないから、カラオケとかで歌っても槇原の詞の良さに気づいてくれる人はいない(^^;
人の歌を最初から最後まで聞いてる人とかいないからね(笑)

ワンフレーズ聴いただけでも「いいこと言ってる!」ってもっとわかりやすければいいんだけど。
[ 2005/10/13 19:56 ] [ 編集 ]

>T君

大衆向けじゃない。まさにその通りだね。
現実逃避・エンターテイメント性に相反するってのもまさに僕が言いたかったことだ。

>世界にひとつだけの花
あれはねぇ。別に批判するほどじゃないけど確かに僕もイマイチだった歌だな。
わかんないけど。天邪鬼だから、単純にヒットして皆が認めたから認めたくないだけなのかもしれないけど。

>ガンバレソング
いやー、でもアレはガンバレソングというより、頑張るというのがどういうことかを考えなおさせる歌だと思うけどね。

単にくじけそうな時に耐え忍ぶとか、そーいうことを頑張ると勘違いしてる人間に自分らしさを大切にして欲しいってことなんだろう。

ただ、あの曲のことを、努力を怠るための正当化だって言う人もいるけど、決して頑張るのをやめろっていう曲でもないってことを強調したいな。

自分の目指すべき道に向かっては大いに頑張るべきと言ってるだけなんだよねアレは。

でもこの曲についても以前書いたことがあるんだけど、やっぱりこの曲もそれだけじゃ世の中やっていけないというか結局世間のつまはじきになっちゃうんだよね。

自分の信念を貫くだけでは、社会的に身を滅ぼす。槇原らしいといえばらしいよ。

>思考停止状態
同感
[ 2005/10/13 20:52 ] [ 編集 ]

>T君(追記)

槇原はすでに本出してるよ。
でも読んでない。
読んだら読んだでハマるだろうけどね。

新しいことに手を出すのがめんどくさいんだよね。
音楽にはまったら音楽聴きっぱなし。
彼自身のこととか、他のこととかあんま興味ないんだよね。
[ 2005/10/13 21:27 ] [ 編集 ]

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