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[ 2005年11月24日 19:53 ]
生死「存在」から話がどんどん膨らんだ 

例えば以前俺が働いていた職場の人間とか、学校卒業以来会わなくなった人間、果ては小学校低学年ぐらいによその学校へ転校していった子とか、俺の目の前からいなくなっていった人たちも今も尚それぞれの人生を歩んでいる。

人間の人生に関わらず俺が関わってきた思い出の場所も、俺がいなくなってからもずっと時を刻み続けてるわけだ。

昔働いてたバイト先とかね。
スタッフもどんどん入れ替わり、今では全く知らないひとたちが働いてるんだろうけど、今、僕がこうして文章を打っている間もその職場は彼らの手によって稼動し続けている。

だけどその場所や、会わなくなった人たちがどんな時間を刻んでいるのかは僕は知る由もなく、僕が彼らの前から、またはその場所からいなくなっても物語は続いていることは確かなことだ。

まあ・・・中には俺が知らないうちにそのはかない人生を締めくくってしまった人もいるかもしれないけど。

そう思うと世界ってのは断じてたった一つだなんて考えは間違ってるな、とか思う。

人口の数だけ世界がある。

例え同じ場所にいても俺から見たキミとキミから見た俺とは全く違うし、世界は60億人分の世界で構成されてるんだ。

気が遠くなる。


そしてそう考えると、人間1人分の人生っていうのはひとつの世界だっていうことだし、その重みもより強く感じられたりするんだけど、逆にたった一つの世界が失われてもまだ世界レベル規模の人生が60億も存在する、っていう考えもあったりして、重いのか軽いのかよくわからなくなったり。

しかもこの無数の世界も地球上に限っての話だ。

意識を宇宙に飛ばすと、地球上での出来事なんて鼻クソ以下のものだし、これは悲観でも楽観でもなく事実だ。

問題は何を基準に物を考えるかだ。

人は時として文字通りの意味で世界を基準にしたりまたは自分の世界を基準に置いて何かを考えなくちゃいけない。だけどそれによって矛盾も限りなく生まれる。

命は軽くない。

だけど宇宙規模で考えると人間がわざわざこの世に生まれてくる意味とかホント謎だ。

俺たち人間レベルの意識で考えるとそれはそれは重い意味があるんだけどね。

生命は自分の子孫を残すために生きるとか、人を愛するために生まれたとか、人生に限りがあるのは、一生懸命に生きるためで、永遠の命があったら堕落してしまうとか、決して間違いではない答えを導きだすのは難しくないけど、やっぱりこれは我々人間にとっての都合でしかない。

この宇宙の片隅に人間が生まれた理由、そんなものは考えちゃいけないのかもしれないけど、仮に人類が滅亡したところで、宇宙は何も変わらない。

昔のバイト先から僕がいなくなったのと同じようにね。

それとも数億年後、人類は宇宙全体を支配、いや、コントロールできるようになるんだろうか。

43億年前から、そうなることを誰かが見越して人類を誕生させた、というのなら少しは話がわかるかな。逆に恐ろしくもあるけど。そうなったら責任の重さだけでつぶれちまいそうだ。

まあ、まさか何億年経ってもさすがにそれは無さそうだけどね。

だったら俺たちって存在する意味あんのかな。
別に価値が無いから死にたいとか言うわけじゃないんだ。
価値が無くて当たり前。
それが人生ってものでその中でも何が何だかわからないまま努力したり苦しんだり必死になったりして生きるものなのに、皆は何かしら価値を見出さないといられないでいるような気がする。

俺も例外じゃないけどね。
生きがいとかってやっぱ必要だ。

ほら。ここで矛盾が生まれるんだよ。

人間って不幸だ。
自我なんてものが無ければこんなことを考えなくても「生きる」っていう単純な目的のために必死になれただろうに。ただ課せられた宿命に機械のごとく立ち向かうことも出来ただろう。
立ち向かったところで何の意味があるのかもわからないけどね。

賢者は戦いよりも死を選ぶ。 更なる賢者は生まれぬことを選ぶ。
ああ、愚か者たちの世界へ来てしまった。

確かに生まれてきたからには死ぬのは怖いけどね。
生まれないで済むならアレコレ考えても仕方ないことを考えることも無かった。

でも重ねて言うけどそんな生き方に僕は絶望してるわけじゃない。
僕が特別つらいとかいうわけじゃなく、生きるっていうのはそういうものなんだっていうことを悟ってるだけだ。

これがつらい、アレがつらい、と感じて「こうならいいのに」と考えたりもするけど、そうならないこともわかってる。
だからそれにしたがって生きるだけだ。

そう、この世の真実を悟っているだけ。
楽観でも悲観でもなく。

だけどこーいう境地に達しちゃうと、ある意味、ネガティブな発想で物事を考えたりするっていうのもアレも実は結構大事なことだったんだな、とか思う。

何か強い願望があったり自分の意思っていうものがあってこそ、初めて何かを否定するエネルギーになる。

例えそれが間違っていたといても、それこそ人間らしい愚かさというものだ。

とりあえず思いついたことをダラダラと書いてみたけど特に主張とか無いですよ。
起承転結の「結」がどこにあるのかとか探さなくていいです。

行間を読む必要も無い。
ここに書いただけの意味でしかないし、僕自身、何を言いたかったのか忘れました。
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▽コメント一覧(2)

価値とか意味ってもの自体が人間の側にしか存在しないものだから、人間が存在する意味は当然宇宙にはないわけですね。ていうか宇宙にとっては何がどうであっても意味がないわけです。そこにいるのが人間だろうと蛆虫だろうと宇宙そのものをあやつる力を持った何物かであろうと、当の宇宙にとっては意味がない。あやつられたら意味なくないだろ、と思われるかもしれませんが、いえいえ、「自らがあやつられることに意味がある」というの自体「人間の発想」でしかないわけです。

というのも想像で言っているだけなので、宇宙には人間と同じような意識があって、「あやつられるなんて冗談じゃねーよ」と思っている可能性も否定はできないわけなんですが、これは少なくとも今のところ(デンパな人や宗教な人以外にとっては)不可知な領域の話で、不可知なことをあれこれ想像しているだけならばそれはやっぱり「単なる人間の発想」でしかないわけですね。

詰まるところ我々に到達できるのは「単なる人間の発想」以上のものではないわけで、だったらそれこそが(我々にとっての)世界そのものだと言ってしまってもそれほど間違ってはいないんじゃないか、と思うわけです。

「卑小な人間」の「あさはかな考え」で「人間は卑小だ」とか言っちゃうこと自体「あさはかな考え」なんじゃないかなあ、てなことも考えます。だからといって逆に「人間は偉大だ」ってのが正しいということになるわけでもないですが。
[ 2005/12/05 01:19 ] [ 編集 ]

>意味ない
まーそう言っちゃえばそれまでなんですが、人体の仕組みとかってホントよく出来てるじゃないすか。
まるで何か目的があって作られてるかのように。
ま、遺伝子を残すためなんでしょうけど。
やっぱりそれも生き物の立場から考えた発想でしかない。

だからこそ、宇宙レベルで考えるに全く意味の無いものがこうも精巧なつくりで誕生したとなると、どうも理由とかを求めないと不思議でならないんですよね。

あ、宇宙意思は俺も時々考えますね。
[ 2005/12/06 00:26 ] [ 編集 ]

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