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[ 2006年02月24日 00:05 ]
生死本能には逆らえないってんですか。 

まあな、言いたいことはわかるんだが、やっぱり違うんだよ。

そして俺が間違ってるのもわかってるんだよ。

例えば水難事故に遭えば、わけもなく水が怖くなるだろ。

フツーに考えて洗面器一杯の水で溺れるわけないけど、たったそれだけの水が怖くなったりするだろ。

これはもう理屈じゃないんだな。

どっちが正しいか間違ってるかを追求したら、理屈的に考えて水恐怖症患者の方に改善の余地がある。考え方一つの違いや姿勢でどうにでもなる問題かもしれない。

でも口で言うのは簡単でも行うのは難しだ。


それに俺には、水難事故の恐怖を忘れちゃいけない最大の理由があるんだ(水難は例えばの話で、俺が水難に遭ったわけじゃないけどね)。

そして洗面器一杯の水に怯える心境なんて、どんな言葉で表現したところで感覚的理解にまでは絶対及ばないから、別に俺は誰かにわかってもらおうとも思わないし、俺の言うことに対して意見を掲げられたところで、それに対して言いたいことがあっても言う気にもなれない。

反論すらしないことが、きっと他の人間には逃げだとか、図星を突かれたんだろうだとか、そういう風に映るかもしれないけどね。

それは断じて違うけど、放っておいてもらえるならそう思われてもいいです。

俺自身、まともな頃は、今の俺みたいなこと言ってる人間て理解不能だったから、なおさら、まともな人に話すだけ無駄だってことがわかるんだよね、皮肉にも。

当時は俺も、こーいうこと言う人間を、ただひたすら前向きにさせてやりたくて色んなことを言ってみたりしたもんだ。

でも今は、それが残酷なことだったんだってことがわかる。

いや、別に皆さんが残酷だとか言うわけじゃないんだ。

魚介類が飢えているナメクジに塩水を与えるというのは、魚介類にとっては親切でしかないからね。
そいつが弱いものにしてやれる精一杯の行動であることに違いない。
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▽コメント一覧(4)

「意見を掲げられたところで....」とある記事にコメントをつけていいものか非常に悩んだけれどまぁアレでしたらスルーの方向で。
さて本題。
言いたい事の理論はある程度わかるけど、
どうしても納得できないところがありまして。
それは、ほんの少しの水も怖いのになんでワザワザ水で満たされた洗面器を手に持って
「水が怖い」と叫ぶのかという事。
水難事故の酷さや恐ろしさを忘れないという事は、
常に水から恐怖を与えられ続けなければならないという事と同義ではなくない?
[ 2006/03/01 23:46 ] [ 編集 ]

お言葉に甘えてスルーさせてもらおうかとも考えたんだけど、一応俺も考えを公開してる身だからね。それに対してもらったコメントっつーことで出来る範囲で色々言ってみます。

ツッコミ始めたらキリがないんだよ。

何しろ、特殊な状況下にある人間てのは自分でもわけがわからなかったり、矛盾や葛藤に苦しむわけだからね。

だからコレ系の人って、途中で言ってることがコロコロ変わったりもするし、常人が話を聞こうとしてもほんとお話にならないと思うよ。

俺が常人だったときもコレは経験してる。
明らかに「それさっきと違うじゃんかよ」って言いたくなるときもあって、そんな矛盾を突いたりした時、こちら側は、悩んでる人の答えを導き出してやったような錯覚に陥るから危険だ。

だけど残念ながら実際の当事者はさらに底なし沼に脚をとられてるんだ。

ツッコミ出したらキリがない。
自分でもわからないからつらいのに、他者が感じる矛盾点を理路整然と説明できたら自分は苦しまずに済んでいるだろう。

「言ってもわからないから言わない」

なんて都合のいい事を書いたけど、これに隠された本当の意図というのは逆に、
何かを言った時に返ってくる答えは、自分でも理屈ではわかりきってることばかりで、それでも自分の感覚がそれを拒否するからさらに混乱に陥ってしまって、それが億劫だってことなんじゃないかと思う。

俺自身、今思いついて書いてるんだけど。

ちなみに水難云々の例え話は俺もそこまで深く考えて書いたわけじゃないから、突っ込もうと思えば俺でも粗を見つけ出せる。

でも強引に答えるならこうかな。

別にわざわざ水で満たされた洗面器を手に持つまでもない。
水ってのは俺たち人間にとって必要不可欠なものでしょ。だから日常的に恐怖の対象が存在してしまう例を挙げたかっただけ。

実際は水難事故に遭っても洗面器一杯に怯える人もいないだろうしね。

ただ、洗面器一杯の水に絶対に顔がつけられなくなったという話は聞いたことがあるけど、これも「じゃあつけなけりゃいいじゃん」っていう話でもないんじゃないかな。

二つの点を一本の線で結ぶような問題じゃない。
あまりにも不可解で多くの事柄が入り組んで現状に達してしまったことから、水が怖い、というのは、ただ水が怖い、という一つの事柄だけが問題じゃないはずだと俺は思う。

それはきっと、仮に水の恐怖を克服できたとしてもその人の悩みが解決するもんでもないんだ。

だから忘れずにいる、ということが、恐怖を与えられ続けなくちゃいけないってのも俺は違う気がする。

そのへんもやはり当事者にしかわからないし、当事者にもわからない部分はたくさんあるだろう。
[ 2006/03/02 00:34 ] [ 編集 ]

なるほど。ある程度は解った。かも。
理論と感情が矛盾するなんてのはよくある事だから特別不思議には思わないんだけど
つまり全く別ベクトルの理論と理論が何故か関係を持って矛盾しているという事なのかな。

そんで悩んでるヒトの矛盾を突く衝動は
答えを導き出してやろうと言う様な感覚ではなくて
何故こんな簡単な理論で悩めるのか不思議でしょうがない、という好奇心(言葉は悪いケド)なんじゃなかろうか。

ちなみに水難云々が日常的に恐怖が存在することの暗喩とか、どうしようもない恐怖をさしているというのもわかってるよ。
これは明らかに俺の書き方が足りなかったと思うケド、洗面器云々で言いたかったことはつまり、ただでさえ日常的に外から恐怖を与えられるのにその上自分で自分に恐怖を与えているのは何でなんだろ、と言うことでね。恐怖を忘れてはいけない、と自らに恐怖を与え続けるのは流石に違うんじゃないの、と思ったわけで。

さらにこれまた若者ぶった書き方をして混乱させてしまったと思うんだけど、「同義ではなくない?」=「同義ではないと思うのですが?」っちゅう事でヨロシク。
[ 2006/03/03 00:04 ] [ 編集 ]

ああ、恐怖を忘れてはいけないってのもそーいうんじゃないんだよなあ。

むつかしいけど。

前述したけど恐怖を克服することが問題の解決じゃなくて色んな事柄が絡んでくることだからね。

これをわかるように克明に書いてたらほんとキリ無い。

>同義では無くない

確かに一瞬戸惑った_| ̄|○
[ 2006/03/05 19:08 ] [ 編集 ]

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