[ --年--月--日 --:-- ]
スポンサー広告スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



トラックバック(-) | コメント(-) |編集

[ 2006年03月15日 23:59 ]
生死涙ってそんなに美しいものなのか 

maji0148.jpg職場の人が、自分が死んじゃっても誰も泣いてくれなかったら寂しい、とかぬかしやがるもんだから、ついうっかり素で返事しちゃいました。

ネットでは普通の人とはずれていようが自分の思うことをストレートに書いても、リアル生活では「普通の人」を装うのが僕の生き方なんだが、口が滑った。

ここはひとつ、「ダヨネー」っていう方向で返事をするのが得策だったんだが油断しちゃいました。

いやね、僕はイヤなんですよ。
自分が死んで誰かが泣くなんて。

というか、自分が死んでるのに「寂しい」って意味わかんない。
死んだらそれまでだろう。
例え魂だとかあの世なんてものがあったとしてもね。

寂しいもクソもあったもんじゃない。


そもそも自分が寂しいという理由で他者に悲しんで欲しいってのがもうなんかアレな感じしない?

願わくば俺は人知れずくたばって、生きてる皆には俺のことなんぞ知る由もなくどこか知らないとこで笑ってて欲しいんですがキレイごとに聞こえますかこれ。

今、俺が死にたくないと思う理由はただひとつですね。

俺が死んだら悲しむ人間がまだいる。
そーいう人らがまだいるうちは俺は今死ぬわけにはいかない。

そう思うと、俺は将来、自分が家族をもつことを微妙にためらったりする。

まあね、そんなこと言ってたら全てが成り立たないことはわかってんだけど。こーいうのをどこまでも追求していったら、「じゃあ生まれてこなければ?」っていう結論に至っちゃうから、仮に俺が考えてることが正しかったとしても、人はこーいうことを考えながら生きちゃいけないんだろう。

どうしようもないことには目を背けることも必要で、自分が生きるために必要なことを考えることが周りの人へ対する貢献にもなるんだろうさ。

やがて誰にでも訪れる死に向かって、どれほどその中身を充実させるか、幸せだったと思えるか、ということが大切で、そういう意味では家庭を築いたりすることも大切なことなんだろうな。

でもなんかこう、理屈じゃないものってあるだろう。

それが本当に正しいことなのかなんてことは誰にもわからない。
少なくとも俺たち人間の視点を持つ者たちにはね。

今そこにある理念が絶対的なものだなんて誰が言える?
まあ、人間に絶対なんてものはありえないこともわかってんだけど。

なんか自分で問題提起しては即座に自己否定してるけど、これは俺が出来る限り客観視してあらゆる方面からちゃんと物事を考えてますよ、ってことをわかって欲しいんだ。

もう、ガーってなっちゃって、ふさぎこんで周りのことが見えなくなっちゃって激しい思い込みから全てを否定してるんじゃない。

俺がここで展開してるのは、
「Aという問題に対しては普通に考えればBだけど、必ずしもBとは限らないだろう?そして俺が考えてるCという考え方も、正しくはないかもしれないけど、間違ってるとは誰にも言えないはずだ」
ってこと。

ああ、死ぬならひっそりと死にたいもんだね。

葬式とかもいらないです。
そして生き残った人たちは楽しそうに笑っててください。
それが俺に対して何よりの供養になるだろうよ。
スポンサーサイト


コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ibbeh.blog2.fc2.com/tb.php/892-5fd225be














上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。